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青い花

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数年前まで、美容師をしていた。心の底から大好きな仕事だった。だけど美容師として過ごせたのは、たったの2年で、仕事を楽しいと思えたのは、もっと短かった。好きな仕事ができることを幸せに思っていた、それなのに心が、からだが、どんどん置いてけぼりになることが悲しくて悔しかった。

仕事をやめたとき、もうすべておわりだと思った。これだけ好きな仕事を続けられなかったのに、ほかになにが出来るっていうんだ。わたしのこころは空っぽになってしまっていた。

そのとき、青い花を買った。そうしたら急に、わたしはなんにだってなれるんだと分かった。自由だ。結局わたしは、雑貨と本のお店で、書店員になった。本が好きだ、いちにち本のことをばかり考えてる。

美容師にはまたなりたいと思う。でももう、やれる気がしなくて涙がでそうになるけれど、わたしはなんにだってなれるから、大丈夫だよ。

よしもとばななさんのお話

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よしもとばななさんの本が好きだ。

ばななさんの本には、不思議な力をもってる人がたびたび出てくる。石や植物がおおきな力を持っていたり、げんきが出るほどとびきりおいしい紅茶が出てきたり。だけど、それはどれもありえないファンタジーではなくって、だれでもする、お祈りのようなものに近いのだと思う。

わたしは、この指輪をつけているから大丈夫、だとか、お花が部屋にあるから安心、だとか、そんなことをいつも思ってる。それは、ひとつのお祈りなんだと思う。そうであってほしいという祈り。だからばななさんの、こういうスピリチュアル的な感覚も、けっこう好きだ。

でもそれよりわたしは、小説のなかにあらわれる一瞬の感情の波を切り取ったことばのやさしさが大好きだ。わたしがもやもやと抱えていたことをハッキリ言葉にしてくれることのうれしさ。だれかが読書は考えることの放棄だと言っていた。そうだと思う。わたしは自分で考える代わりに、ばななさんの本を読んでいる。

 

いちばん好きなのは「みずうみ」です。「白河夜船」も好きだし、もちろん「キッチン」や「TSUGUMI」も好き、最近の著書だと「スナックちどり」が好きで、ばななさんで唯一読んだエッセイ「すばらしい日々」はとてもやさしかった。

これからわたしはいろいろ変わっていって、きっとばななさんも人間なので変わっていって、ばななさんの本が合わなくなるときもくるだろう。それでもずっと、救ってくれたことばの数々を、わたしは忘れないだろうな。

午前5時

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0330

午前5時、たたき起こされる。「朝ごはん食べにいこう!」どこに?起きたばかりなのに?というか、いま何時?いろんなギモンが寝ぼけたあたまのなかをぐるぐるまわる。「ファミレスいこうよ」「‥いま何時?」「5時だよ」たのしそうに言う。5時って、ねむったのは3時くらいだよ。寝る前に飲んだ眠剤がからだの中に残っていてずっしり重たい。どうにか断りたい、まだねむりたい。だけど目の前にはたのしそうな顔。「いこっか。」

歩いてファミレスへゆく。午前5時、を少しすぎたころ、パンと目玉焼きの朝食セットを頼んだ。君は、ハンバーグ。そういうところ好きだよ。帰りは遠回りをして歩いた。あの花はなに?と子どもみたいにいちいち聞いてくるから、そのたびにわたしは、梅だと思うよ、とか、雪柳だよ、とか教えてあげる。細い道、後ろから車がきたら塀にぴったり寄り添って避けて一緒に笑った。これだけで、いいんだよ。これだけで、いいのに。

帰ってまたねむった。起きたら昼も終わりかけてた。わたしは、馬鹿だと思うよ。

0327

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中古で車を買った。今までの人生で一番おおきな買い物だ。数十万を3年かけて払うという話になったとき、3年後に生きてる保障もないのに、とすこし思った。

2年前、わたしのこころはすり切れて、グラスから水がぎりぎりのところで溢れていない、そんな状況だった。明日も生きているか分からないほど不安定で、危うい日々。それに比べて今は、生きるのやだよーとなることもすこし、いや、けっこう、あって、3年後生きてんのかなあと、確かに思ったけれど、ただなんとなく、漠然と、この生活を続けてるんじゃないかな、と思う。すごい進歩だと思うんだけど、どうかな。

どこへ行こう、どこへでもゆけるよ。だけど電車も好きだから、これからもたまには電車で旅をしようね。

おべんとう

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曲げわっぱのおべんとう箱を買った。ずいぶんと安かったからニセモノなんだろう。それでも、木のおべんとう箱はいいな、と思う。なんとなくおいしそうに見えるし、なんとなくね。

それからまいにちおべんとうを作っている。母の作った前日の晩ごはんを詰めるばかりなので作るというほどでもないんだけど。

曲げわっぱのおべんとう箱は、食べ終わったらすぐ洗わないとだめらしい。いままで普通のおべんとう箱をつかっていたときは家に帰って洗おうと思っているうちに面倒になってきて、結局翌朝に洗うこともあった。面倒くさがりもほどほどにしないとな。

今は食べ終わったらすぐに職場で洗う。なんだか、すごく折り目正しい生活をしているような気になってうれしい。おべんとうを作る・食べる・洗う、一連の流れができることが、生きている、という実感をくれることを知った。

 

最初は、節約になるかなと思ってはじめたおべんとう作りだけど、いまは節約とかはあんまり考えてないな。そもそも、毎日のコンビニおにぎり分節約されたお金はそのまま、本やお菓子に流れてゆくので結局節約になんてまるでなってないんだけどね。

ミモザ

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あれこれ考えを巡らせても、結局人の考えることなんてわたしにはわからない。悪いふうに決めつけてかなしくなるよりは、考えないでいたほうがいい。なるべくべつのことで頭をいっぱいにする。なるべく、なるべく

街でミモザが咲いてるのを見た。きれいだ。きょうも悲しい

最近読んだ本の話

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読むタイミングを完全に失っていた村上春樹を、初めて読んだ。風の歌を聴け。なにがあるというわけでもない、ただ酒を飲んで女と寝て、それだけのはずなのにつまらないと思う瞬間がなかった。これが村上春樹か、と思う。気障な”僕”であったり独特な比喩であったり、インターネット上で揶揄されているムラカミハルキらしさを楽しめてうれしい。わたしは好きだな。

 

わたし自身は熱烈なよしもとばななフリークなのだけど、最新の文庫のエッセイはほんとうによかった。

「ポジティブシンキングをがんばるのではなく、なるべく日々をハッピーでいることしかないんだと思う。自分を不幸にするのは自分の責任だから」

こういうところが、だいすきだ。

 

もう10年近く前、はじめて読んだ作品が苦手で、それからずっと敬遠していた江國香織さん。エッセイは読んだけれど小説はそれ以来はじめて。「きらきらひかる」そのときの自分の精神状態もあるのだろうけど、ずっとぼろぼろに泣きながら読んだ。笑子のかなしみがわかる気がした。なにもできずたださらさらと涙を流し続けるこころの状態も、そんな日が、たしかにわたしにもあった。

 

つかれたので、おはなしはおわり。またね