おにぎり

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母の作るおにぎりは完全な正三角形だった。全ての面がしっかりあって何個作っても完璧に同じ大きさ。お弁当に入れられると固くて嫌だった。それに比べて祖母の作るおにぎりは、ほぼ丸なんじゃないかと思うほどぼんやりした形をしていた。手で持つとボロボロ崩れてしまうような脆さで、母のそれとは全くの逆だった。

祖母の家で食べさせてもらうやわらかいおにぎりが大好きだった。それは祖母がたくさん用意してくれたアイスや私の好物だったコロッケを張り切って作ってくれていたことの喜びも合わさっているのだろうが、すぐ崩れちゃうよ〜と笑いながら食べる祖母のおにぎりはおいしくて、そのたび母の作るおにぎりのことを少し嫌いになった。
祖母は今、介護施設にいる。私のことも忘れて、もちろん、おにぎりを作ることもない。私は今日も、おにぎりを作る。祖母のやわらかいおにぎりが食べたいなぁと思いながら、私が作るのはいつも、母と同じ、かたいおにぎりだった。

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寝て起きて仕事行ってを繰り返して、代わり映えのない日々が幸せなんだよと言われてもそうだねとは思わない。死ぬまでこれが続くんかと思うし、その途方もなさを思うとうんざりする。でも歳を重ねるごとに感情の振れ幅が小さくなって凪いだ状態がつづくことが多くなったけれど、それでも急にパキッて心が割れる音がすることもあるわけです。それでも歳を重ねるって素晴らしいよね。あんまり泣かずに済むし、ケーキを買ったりお酒を飲んだりしてやり過ごせるようになった。鈍感になったといわれたらそれまでかもしれんけど。とはいえわたしは感傷的な人間なのでいつまでもこうだったらどうしようと少し怖い。ちょっと焦った気持ちにもなる。まあ先のこと考えても仕方ないね。明日の朝はスープが飲みたい。

紅茶

f:id:tou_mei:20170925145919j:plain昨夜は新聞配達の音がしてから寝た。

朝になり昼も過ぎ、それでももうわたしはだめなんです、と横たわったまま動けない。本を読んでも内容と関係なくずっと涙がながれる、涙が耳に入るとぼうっと音がする、本を読む。

本の中で先生がおいしい紅茶の淹れ方を話す、それならわたしにもできるかな。頭がいたい、さめたゆたんぽを抱いて部屋を這い出でる、ぽちゃぽちゃ音がして落ち着く。

宝石みたいな紅茶ができた。果肉も葉も食べられるお茶らしい。はちみつをたっぷりいれたらなんだか味がぐんと濃くなった気がして、いままでわたしが飲んでた紅茶は、ほとんど水だな、と思った。酸っぱくて、甘い。あまったお湯はゆたんぽにいれた。

透明なガラスのカップが好きで、宝石みたいな紅茶はそれに注いだ。太陽が透けてきらきらしてる。でもね、そのカップIKEAのなんだ、継ぎ目があるでしょ、安くて。でもそんなことどうだっていいよ。わたしがいましあわせかどうかなんてどうでもいい。名前をつけて納得するものでもない。

好きな小説で、魔法のようにおいしい紅茶が出てくる話がある。この紅茶も魔法なのかもしれない。

おめかし

f:id:tou_mei:20170912225154j:plainわたしは口紅以外の化粧道具は持ち歩かないのだけど 世の多くの女性は化粧ポーチを持って化粧直しもするわけじゃないですか。あれってどこまで持ち歩けばいいんだろうっていつも考える。だって、ファンデーション落ちちゃうかも アイライン滲んじゃうかも シャドウもチークも薄いかも…とかって考え出したら全部の化粧道具を持ち歩くことになってしまいそうで、キリがない。できるだけ荷物は減らして身軽でいたいから おおきな化粧ポーチは持ちたくないしね。そうなると いちばん落ちやすい口紅だけ持つことになる。みんなはどこで区切りをつけているんだろう。

ところで化粧品は 使用感ももちろんだけど、見た目ってめちゃめちゃ大切だよね。使用感をも超えてくることもある。わたしだけなのかな。わたしは化粧をし始めた年齢も遅くて 化粧に対するあこがれだけが大きくなったいったから、化粧品の見た目が美しいことってそのあこがれが可視化されているように思える。見た目が美しければ 安くたっていいじゃない、と思う。その逆も思うわけだけど。

青い花

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数年前まで、美容師をしていた。心の底から大好きな仕事だった。だけど美容師として過ごせたのは、たったの2年で、仕事を楽しいと思えたのは、もっと短かった。好きな仕事ができることを幸せに思っていた、それなのに心が、からだが、どんどん置いてけぼりになることが悲しくて悔しかった。

仕事をやめたとき、もうすべておわりだと思った。これだけ好きな仕事を続けられなかったのに、ほかになにが出来るっていうんだ。わたしのこころは空っぽになってしまっていた。

そのとき、青い花を買った。そうしたら急に、わたしはなんにだってなれるんだと分かった。自由だ。結局わたしは、雑貨と本のお店で、書店員になった。本が好きだ、いちにち本のことをばかり考えてる。

美容師にはまたなりたいと思う。でももう、やれる気がしなくて涙がでそうになるけれど、わたしはなんにだってなれるから、大丈夫だよ。

0327

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中古で車を買った。今までの人生で一番おおきな買い物だ。数十万を3年かけて払うという話になったとき、3年後に生きてる保障もないのに、とすこし思った。

2年前、わたしのこころはすり切れて、グラスから水がぎりぎりのところで溢れていない、そんな状況だった。明日も生きているか分からないほど不安定で、危うい日々。それに比べて今は、生きるのやだよーとなることもすこし、いや、けっこう、あって、3年後生きてんのかなあと、確かに思ったけれど、ただなんとなく、漠然と、この生活を続けてるんじゃないかな、と思う。すごい進歩だと思うんだけど、どうかな。

どこへ行こう、どこへでもゆけるよ。だけど電車も好きだから、これからもたまには電車で旅をしようね。

ミモザ

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あれこれ考えを巡らせても、結局人の考えることなんてわたしにはわからない。悪いふうに決めつけてかなしくなるよりは、考えないでいたほうがいい。なるべくべつのことで頭をいっぱいにする。なるべく、なるべく

街でミモザが咲いてるのを見た。きれいだ。きょうも悲しい