紅茶

f:id:tou_mei:20170925145919j:plain昨夜は新聞配達の音がしてから寝た。

朝になり昼も過ぎ、それでももうわたしはだめなんです、と横たわったまま動けない。本を読んでも内容と関係なくずっと涙がながれる、涙が耳に入るとぼうっと音がする、本を読む。

本の中で先生がおいしい紅茶の淹れ方を話す、それならわたしにもできるかな。頭がいたい、さめたゆたんぽを抱いて部屋を這い出でる、ぽちゃぽちゃ音がして落ち着く。

宝石みたいな紅茶ができた。果肉も葉も食べられるお茶らしい。はちみつをたっぷりいれたらなんだか味がぐんと濃くなった気がして、いままでわたしが飲んでた紅茶は、ほとんど水だな、と思った。酸っぱくて、甘い。あまったお湯はゆたんぽにいれた。

透明なガラスのカップが好きで、宝石みたいな紅茶はそれに注いだ。太陽が透けてきらきらしてる。でもね、そのカップIKEAのなんだ、継ぎ目があるでしょ、安くて。でもそんなことどうだっていいよ。わたしがいましあわせかどうかなんてどうでもいい。名前をつけて納得するものでもない。

好きな小説で、魔法のようにおいしい紅茶が出てくる話がある。この紅茶も魔法なのかもしれない。

おめかし

f:id:tou_mei:20170912225154j:plainわたしは口紅以外の化粧道具は持ち歩かないのだけど 世の多くの女性は化粧ポーチを持って化粧直しもするわけじゃないですか。あれってどこまで持ち歩けばいいんだろうっていつも考える。だって、ファンデーション落ちちゃうかも アイライン滲んじゃうかも シャドウもチークも薄いかも…とかって考え出したら全部の化粧道具を持ち歩くことになってしまいそうで、キリがない。できるだけ荷物は減らして身軽でいたいから おおきな化粧ポーチは持ちたくないしね。そうなると いちばん落ちやすい口紅だけ持つことになる。みんなはどこで区切りをつけているんだろう。

ところで化粧品は 使用感ももちろんだけど、見た目ってめちゃめちゃ大切だよね。使用感をも超えてくることもある。わたしだけなのかな。わたしは化粧をし始めた年齢も遅くて 化粧に対するあこがれだけが大きくなったいったから、化粧品の見た目が美しいことってそのあこがれが可視化されているように思える。見た目が美しければ 安くたっていいじゃない、と思う。その逆も思うわけだけど。

パジャマ

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パジャマが好きだ。

なにを着たっていい、だってごく親しいひとにしか見せないんだから。取り繕う必要の無い衣服、ほんものの自分が出せる。
白のひらひらしたワンピースを着たり、大きいtシャツに下着だけで過ごしたりする。どのパジャマも好きだ。
家に帰ってパジャマに着替えてようやく、自由になれる。

 できれば一日パジャマで過ごしたいね。そんな居心地のいいことないよ。

おまもりの指輪

f:id:tou_mei:20170622002517j:plain21歳の冬、旅行先の鎌倉で安い指輪を買った。日々がつらかったわたしはその指輪をおまもりにして、生きようと決めた。それからは仕事中もお風呂も、どんなときだってその指輪をずっと付け続けた。1年経って切れたときにはすぐに似たような安い指輪を買った。ふたつめの指輪になってもうすぐ3年になる。

変色してメッキもはげて、ボロボロになった指輪。それが、ついに、ほんもののシルバーで、わたしだけのサイズで、つくってもらうことになった。もう変色もしない、切れたりもしない。ずっとわたしの指に嵌っているんだ。つけるとするっと指に入ってなじむ、わたしだけの指輪。もう、なにもいらない。

これから先、わたしの指に婚約指輪がつけられることはなくても、この指輪があるんだから、ぜんぶ安心だね。

青い花

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数年前まで、美容師をしていた。心の底から大好きな仕事だった。だけど美容師として過ごせたのは、たったの2年で、仕事を楽しいと思えたのは、もっと短かった。好きな仕事ができることを幸せに思っていた、それなのに心が、からだが、どんどん置いてけぼりになることが悲しくて悔しかった。

仕事をやめたとき、もうすべておわりだと思った。これだけ好きな仕事を続けられなかったのに、ほかになにが出来るっていうんだ。わたしのこころは空っぽになってしまっていた。

そのとき、青い花を買った。そうしたら急に、わたしはなんにだってなれるんだと分かった。自由だ。結局わたしは、雑貨と本のお店で、書店員になった。本が好きだ、いちにち本のことをばかり考えてる。

美容師にはまたなりたいと思う。でももう、やれる気がしなくて涙がでそうになるけれど、わたしはなんにだってなれるから、大丈夫だよ。

よしもとばななさんのお話

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よしもとばななさんの本が好きだ。

ばななさんの本には、不思議な力をもってる人がたびたび出てくる。石や植物がおおきな力を持っていたり、げんきが出るほどとびきりおいしい紅茶が出てきたり。だけど、それはどれもありえないファンタジーではなくって、だれでもする、お祈りのようなものに近いのだと思う。

わたしは、この指輪をつけているから大丈夫、だとか、お花が部屋にあるから安心、だとか、そんなことをいつも思ってる。それは、ひとつのお祈りなんだと思う。そうであってほしいという祈り。だからばななさんの、こういうスピリチュアル的な感覚も、けっこう好きだ。

でもそれよりわたしは、小説のなかにあらわれる一瞬の感情の波を切り取ったことばのやさしさが大好きだ。わたしがもやもやと抱えていたことをハッキリ言葉にしてくれることのうれしさ。だれかが読書は考えることの放棄だと言っていた。そうだと思う。わたしは自分で考える代わりに、ばななさんの本を読んでいる。

 

いちばん好きなのは「みずうみ」です。「白河夜船」も好きだし、もちろん「キッチン」や「TSUGUMI」も好き、最近の著書だと「スナックちどり」が好きで、ばななさんで唯一読んだエッセイ「すばらしい日々」はとてもやさしかった。

これからわたしはいろいろ変わっていって、きっとばななさんも人間なので変わっていって、ばななさんの本が合わなくなるときもくるだろう。それでもずっと、救ってくれたことばの数々を、わたしは忘れないだろうな。

午前5時

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0330

午前5時、たたき起こされる。「朝ごはん食べにいこう!」どこに?起きたばかりなのに?というか、いま何時?いろんなギモンが寝ぼけたあたまのなかをぐるぐるまわる。「ファミレスいこうよ」「‥いま何時?」「5時だよ」たのしそうに言う。5時って、ねむったのは3時くらいだよ。寝る前に飲んだ眠剤がからだの中に残っていてずっしり重たい。どうにか断りたい、まだねむりたい。だけど目の前にはたのしそうな顔。「いこっか。」

歩いてファミレスへゆく。午前5時、を少しすぎたころ、パンと目玉焼きの朝食セットを頼んだ。君は、ハンバーグ。そういうところ好きだよ。帰りは遠回りをして歩いた。あの花はなに?と子どもみたいにいちいち聞いてくるから、そのたびにわたしは、梅だと思うよ、とか、雪柳だよ、とか教えてあげる。細い道、後ろから車がきたら塀にぴったり寄り添って避けて一緒に笑った。これだけで、いいんだよ。これだけで、いいのに。

帰ってまたねむった。起きたら昼も終わりかけてた。わたしは、馬鹿だと思うよ。